ちゃんと決まっていたわけじゃないのに、
気づいた人が少しずつ埋めて、何となく回っている。
そんな職場の空気を、見たことがあります。
たぶん私自身も、
そういう小さな手直しや補足を
自然とやってきた方だと思います。
たとえば、
ファイル名を、あとで探しやすいように整えておくこと。
誰も言わないけれど、入力ルールのズレを直しておくこと。
毎回聞かれそうなことを、先にメモで残しておくこと。
引き継がれていない細かい流れを、自分で補っておくこと。
どれも、大きな仕事ではないのかもしれません。
でも、そういう小さな手直しや補足があるから、
何とか回っている場面も、実際けっこうある気がします。
誰かが気づいて動く。
その場は助かるし、問題もひとまず片づく。
大きなトラブルにならずに済むことも多いです。
だから一見すると、
うまく回っているようにも見える。
でも、それが何度も続くと、
だんだん同じ人ばかりが疲れていく。
表面上は回っている。
でも中では、少しずつしんどさが積み重なっていく。
そんな職場には、共通するものがある気がしています。
今回は、
「気づいた人がやる」が続く職場で起きていることを、
誰かを責めるためではなく、
少し整えるための視点として考えてみたいと思います。
そして、気づける人だけに負担が偏らないために、
どんな見直しができるのかも整理してみます。
「気づいた人がやる」は、なぜ起こるのか
こういう状態が起きるとき、
誰か一人が悪いというより、
流れや役割が曖昧なまま進んでいることが多いように思います。
忙しい現場ほど、
本当は決めておいた方がいいことが後回しになりがちです。
誰が確認するのか。
どこまでが担当なのか。
困ったとき、どう共有するのか。
どこに残しておくのか。
そういう小さなルールが曖昧なままだと、
結局“見えた人”が埋めることになります。
その場では助かるし、
周りもきっと「やってくれて助かった」と思っている。
でも、仕組みの方が整わないままだと、
同じことはまた起きます。
気づいた人のやさしさや責任感で、
その場その場を何とかつないでいく。
それが続くほど、
「何となく回っているけど、何だかしんどい」が増えていくのだと思います。
なぜ、静かに疲れていくのか
しんどいのは、
単純に仕事量が多いから、だけではない気がします。
気づく。
考える。
補う。
確認する。
整える。
こういう動きは、外からは見えにくいのに、
頭も気も使います。
しかも、それをやったことで大きな問題が起きなかったとしても、
「何も起きなかったこと」は見えにくい。
ミスを防いでいても、
その負担は表に出にくいまま終わることも多いです。
だから、やってもやらなくても同じように見えたり、
「その人が気が利くから」で片づけられてしまいやすい。
でも実際には、
自分の仕事をしているはずなのに、
ずっと周辺の穴埋めをしているような感覚になることがあります。
この人に伝わっているかな。
ここ、抜けそうだな。
あとでまた聞かれるかもしれないな。
このままだと、また同じことが起きそうだな。
そういう小さな先読みが積み重なると、
表面上は普通に働いていても、
中ではずっと気が休まらない状態になります。
大きなトラブルが起きているわけではない。
でも、静かに消耗していく。
しんどさって、案外こういう形でもたまっていくのだと思います。
本当に必要なのは、気づける人を増やすことではない
こういう職場で必要なのは、
もっと気づける人を増やすことではなくて、
気づいた人だけに負担が集まらない形にすることだと思います。
誰が何を確認するのか。
流れをどこまで見える形にするのか。
引き継ぎしやすいように、何を言葉にして残しておくのか。
そういう小さな整理があるだけで、
現場の疲れ方はかなり変わるはずです。
仕事を回すうえで、
やさしさや気づきはもちろん大事です。
でも、それだけに頼っている状態は、
長く続くほど偏りやすい。
だからこそ、
「気づいた人がやる」で回っているときほど、
本当は一度立ち止まって、
流れや役割を見直した方がいいのだと思います。
整えることは、優しい人を守ることでもある
「気づいた人がやる」は、
一見すると、やさしさで回っているようにも見えます。
でも、それが続く職場は、
同じ人ばかりが疲れやすい。
問題なのは、
誰かの性格や頑張りではなく、
流れや役割の曖昧さなのかもしれません。
整えることは、
効率化のためだけじゃなく、
気づける人や抱えやすい人を守ることにもつながる。
私は、そんなふうに思っています。
業務の流れがうまく言葉にならない…
どこから整えたらいいか分からない…
そんなうまく言葉にならない業務の流れを、
必要なときに一緒に整理もできます。